2024年4月22日(月)第22回目の短編小説読書会を行いました。
今月の読書会は申し込みが多く、2回に分けて行いました。
あっという間に両日定員に達してしまい、キャンセル待ちまで発生したくらい大盛況でした。お申し込みいただいた方、ありがとうございます!
そして、残念ながらお呼びできなかった方、申し訳ありません…。
今回はその2回目。参加者は8名で行われました。
今回の課題分は安部公房『デンドロカカリヤ』。
選んだ理由はいくつかあるのですが、
①作者の安部公房が今年生誕100周年を迎えること
②主人公のコモン君が変身したとされる「デンドロカカリヤ」が小石川植物園にあり、みんなで見に行きたいため
が大きな理由です。
※②については下のリンクを参照ください。
いつものように自己紹介を済ませた後、感想や評価を語り合います。
今回は普段から読書に親しんでいる方が多かったものの、やはり何を言いたいのか曖昧という意見が多かったです。
あまりに簡単に分かってしまう作品は、議論には向きませんから、このような「わからない」という意見が出てくるのはいい状態だと思います。
色々な視点で議論していきましたが、「コモン君は植物になりたかったのだろうか?」というのは気になる点です。
コモン君は植物園長のKを殺すために植物園に乗り込みます。しかし、海軍ナイフを突きつけた割にはあっさりと負けを認め、植物になってしまいます。実際にはコモン君はそこまで自分の人生にこだわりがあるタイプではなくて、ただ流されるままに生きているだけなのかもしれません。
後は、コモン君がデンドロカカリヤになった後、園長のKと助手のMは笑い出しますが、この笑いはなんの笑いなのか、というのも考えどころだと思います。
(だいたい、笑いとか涙とかは文学を考える上で大事なテーマになってくることが多いです。入試でもよく問われます)
専門用語はたくさん出てきますが、今回はダンテの『神曲』を深めてみました。コモン君が、「人間が植物になる」という前例を調べに図書館に行くシーンです。
コモン君の調べによると、人間が植物になるのは「自殺者への罰」なのだそうです。それを見てコモン君は「自分は死んだのだろうか?」と疑問を抱き始めます。
自殺という言葉が使われていますが、ここではひとりひとりが持つ個性の消失と考えてみます。
個人でありながら個性のない「コモン」君。
そして、そのことに自覚さえない…
もしかすると、コモン君は人間としては死んでいる状態なのかもしれません。
そんなコモン君ですが、植物になると日本列島では見ることのできないデンドロカカリヤという固有種に返信してしまうのは皮肉なところです。
そういえば、「植物人間(=生命が他人によって維持されており、人間としての精神活動は一切ないため、もはや人間とは呼ばない状態)」という言葉をありますね。
もしかしたら創作における着想のヒントなのかも?
今回も楽しい読書会でした。
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次回読書会の日時は未定ですが、課題文は先に決まりました。
次回課題文:『ひよこトラック』(小川洋子)
※青空文庫にはないので、図書館等で探して読んできてください。
文庫本では、コチラが値段も手頃で入手しやすいかと思います。
次回の参加もお待ちしております。